遅きに失したエントリーですが、「らきすた」は男キャラ不在で男の主観を存在させたエロゲだと結論が出ました。要するにいまさら「らきすた」を全話観たんですね。
柊かがみ、つかさ、高良みゆきと、確信犯的な美少女達がそろい、まさにエロゲ的な状況がそろったところで普通ならここで投入されるのが、普通は「ダメダメなのに何故かもてる少年主人公」です。しかしらきすたはここでダメ少年を入れる代わりに泉こなたというステロタイプ的なキモヲタを投入してきました。
泉こなたの生活スタイルはじつにキモヲタであり、キモいアニヲタであり、キモい萌えヲタなのです。しかし彼女には美しい容姿があり、頭脳があり、そして運動能力があり…キモヲタ共が喉から手を出さんばかりに欲する理想像がそこにあります。
泉こなたは理想化されたキモヲタです。
そしてこなたが男でなく、彼女もまた美少女であるという点が重要です。
キモヲタ共は架空の主人公にとにかくイチャモンをつけるのです。ドラクエ型無言主観であってほしい主人公達に無駄な人格を与えることは、時として見る側に激しい不快感を与えます。これは端的に言えば、「誠氏ね」という格言にすべて集約されます(スクイズは最終回しか見てないけど)。あるいは主人公のが出来すぎたゆえに「りりむきっす」は早期終了しました。
出来すぎた主人公に嫉妬し、あるいは出来損ないの主人公をけなし、最終的にそれは自分自身の独り相撲に過ぎないと知ったとき、キモヲタ共は激しく傷ついていくのです。「もう恋はしない」みたいな。二次元なのにね。
それが泉こなたならどうか。キモヲタ共は彼女の視線で周囲の美少女達を堪能するもよし、こなた自身のヲタ発言に馴れ合うのもよし、こなた自身に萌えるのもよし…
泉こなたはキモヲタにとって理想化された自分自身。
よって、ここではじめて「男キャラ不在で男主観を入れる」=泉こなたは理想的なエロゲ主人公 という世界が誕生したのです。
激しく確信的な犯行だとおもいました。
キモヲタ共が泉こなたという、キモヲタしてのメタ視点を通じて狂喜する世界なんですよ。まさしく「らきすた」は作品というよりは世界です。望む者に望む物を的確に与え続けた京アニの仕事たるや半端ないです。キモヲタ共にとってはベルセルクの蝕です。もちろん使徒側で。京アニはキモヲタを泉こなたに転生させるために、己が生み出した涼宮ハルヒすら贄に捧げました。
オタク以外に激しくアンチが湧くのも当然です。実に健全で正しい反応だと思います。そしてこの「オタク」を「ニコ厨」に置換した商品がこれなんでしょう。買ってませんけどニコ厨から芝=wを生やさせるかという命題の下に創られたリーサルウエポンだということはわかります。それで多分成功してるはずだとミギレキは予想する。
だって京アニ側とニコ厨の相性のよさって半端ないんですよ。キャラソンをニコニコで聞いてみたんですけど、「そろそろ京アニのニコニコ商法も叩かないと」って来たら即座に「↓それは京アニは悪くない」「↓買う俺らがわるい」なんていう擁護コメントがでちゃったし。
悪には悪の救世主が必要なように(byンドゥール)ヲタにはヲタのそれが必要なのです。
混沌から生まれた混沌が、混沌を愛で、混沌から愛でられるという地獄がらきすたでした。こういう祭はもう二度三度と簡単には起こせないでしょうが、京アニの歴史では金字塔の仕事だったはずです。
私は完全についていけなくなった自分に諦観してたけど。
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