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母に FF7AC を見せたら「セフィロス→森川→なぜか高河ゆん→ LOVELESS」というヲタ的な遷移を及ぼしてしまったんですが、逆影響を受ける形で LOVELESS 全話見てました。
いやー、面白かったんですよね。

多分この作品のテーマは「言葉とは何なのか」ということです。

人は言葉により何かを定義し、人を定義します。悪しき言葉で呼称される場合それは悪しき意味で定義され、よい意味で呼称されている場合はそう定義されているという意味です。人は言葉によってそれが何たるか捉えることができるのです。

戦闘がスペル=言語でなされる点は作者が RPG などに精通している影響もあるかもしれませんが、作中においてはまさに「定義の争い」こそがバトル足りうる概念だからでしょう。人は定義されることに対して苦悩し、喜びを覚え、自分自身が何たるかを自覚して行くのです。夢枕獏作の『陰陽師』には「この世で最も短い呪は『名』」というフレーズが出てきますがあれを彷彿とさせますね。

もっと深く考えると、「名」とは何かというのがこの作品の主題のような気がします。
違うものに違う名前をつけるのは、記号の差異によって両者の定義を分ける必要があるからです。その名が自分を表すものであるためには、その名が他人と同じであってはいけない。違うもの(他者)との差異は記号の差異で表されるのであり、従って人間の名前はそれぞれ人とは違うものになっているのです。
「人はそれぞれ違う」が故に「人名」という固有名詞は生み出されたのです。

逆に名が同じであるということは彼我が同一であるということを定義します。愛し合うものの彼我の同一は幸福です。愛し合うものは常に同一化を望むものであり、その結果が「定義としての同一=結婚」「肉体としての同一=セックス」などになると思う。
しかし実質的には名の同一と現実の同一は一致しない場合が多々あります。
作中では「 LOVELESS という哀しい名に苦しむ立夏」「愛し合い、同一の名で結ばれていたはずなのにそれが消えて、彼我の名が異なってしまったにもかかわらず肉体的に同一であろうと抗う倭と江夜」「名が同一でないにかかわらず立夏を愛してしまった草灯」など、名と肉体の不一致に葛藤するキャラクターが登場し、この葛藤こそが最大のドラマでありテーマになっています。

そこに注目すれば実に面白いアニメでした。絵も綺麗だったし。
なぜネコ耳なのかとか、なぜデフォで同性愛なのかとか、そもそもここは地球なのかどこの星なのかとかとかその辺の疑問は「原作者が変態だから」の一言で済むあたりも素晴らしいほどの妄執を感じますね。
原作も読もうかな。
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